運とはどんなもの?マルドゥック・スクランブルより

今回は冲方丁さんの「マルドゥック・スクランブル」から気になるもので「君は運を理解しかけているようだ」というセリフについて出していきます。

このマルドゥック・スクランブルという作品については前の記事に書いていますのでそちらで確認してください。

この記事では運というものがこの作品の中でどのようなものかというのを出していきます。

前の記事にとは別の視点のようになっているので楽しいところです。

最後の勝利についても少し出しています。

セリフの概要

そして「運を理解しかけている」というセリフは最後のカジノでブラックジャックをしている最中にカジノの用心棒に主人公が言われるセリフです。

このセリフの前にはヒッチハイクの話が出てきます。

「長い道で車が故障で止まった時、周りは砂漠の時には一体どうするのか?」

「逆に長い道で周りが砂漠の時にヒッチハイクをしている人がいたらどうするか?」

という質問で、これの100%の答えは何かという話です。

正解は助けてくれる人は獲物だから殺す、逆に助けを求めてくる人も獲物というものです。

話が分からないかもしれませんが、これはカジノでの話です。

「カジノというところは合法的に他人から奪うことができ、それがギャンブル」だと。

そして「もし、助けるのであれば殺される覚悟を、助けないのであれば助けを求めるな」と

自己責任と一貫性が必要だと言っているように思えます。

されにこのヒッチハイクの話には続きがあります。

用心棒の兄は旅行中にヒッチハイクしている人を乗せた結果炎天下の中車のトランクに閉じ込められ、亡くなった。

そしてその兄の状況を体験してみた時に父親に「中のフックを引け」と言われて、フックを引くことでトランクが空いて、兄の代わりに生き残った。

そんな話です。

もし兄に「中のフック」を教えてくれる人がいたら、「フック」のことを知っていたら、「フック」をまぐれで見つけていたら兄は生還しただろう。

その3つの内どれかがあれば兄は死なずに運良く生きていた。

その上で、「運を理解しかけている」というセリフなのでこの作品での運について出していきます。

運の要素

兄の話で3つの内どれかの運があれば…という話でしたが、この3つについて出すなら、

1、周りに理解している人がいれば

2、自分で知っていれば

3,その場の対応をうまくできれば

ということになると思います。

1は周りの力で、2は自分の力で、3はあきらめずに自分の力でともとらえられます。

この3つの内2つは自分で行うことですが、1つ目だけ自分でやるものではありません。

そこで主人公はどの要素を持っていたかというと、1つ目の要素によって最初の殺されるのを回避しています。

なので主人公はこの運の3つの内1つ目を持っていました。

そのうえで概要には書いてませんが、主人公は「謙虚だ」、「その謙虚さが偶然の中の必然をつかむ」と言っています。

この謙虚さがおそらく運の要素に入ってくるんだと思います。

そこで謙虚の意味は「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。」とのことです。

ここから考えられるのは、

他の人から教えてもらうのは、謙虚な人は学ぶ気持ちがあるため

自分で知っているのは、謙虚な人は学ぶため

その場での対応は影響無さそうですね。

せめて偉いものと思ってない分自分から動くとかでしょうか?

最後の勝利

最後に「イーブンマネー」で完全に勝ったとして出されています。

ここの部分はイーブンマネーが合うところではあったんですが、普通プレイヤーとディーラーがブラックジャックするとは思えません。

そこで配当によって貪欲に行くであろうと勝負した結果の「イーブンマネー」で謙虚な結果に

その選択のためには勇気が必要で、謙虚さも必要だった。

そしてその謙虚さから運をつかんでいたというようなことが出てきます。

おそらくその謙虚さが周りに人を呼び、人から教えてもらい、最後の勝利になったということでしょう。

おそらくこの用心棒は主人公の運がただの偶然だったのかどうかを確かめるためにしたことだと思います。

この作品のカジノは運についてたくさん出てきます。

その運は主人公のように「謙虚さが重要になってくる」ということだと思います。

謙虚であるということは運がいいということ、この用心棒が見つけた運というものは「謙虚さ」の中にあったということだと思います。

この作品については前の記事と同じように下に出しておきます。

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感想(4件)

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