米澤穂信さんの著書の「いまさら翼といわれても」から出していきます。
いきなり選択肢が広がるという経験はないでしょうか?
進学の時や、社会人になった時なんかでは特に広がったという記憶があります。
そんなことがあれば特に共感できる内容です。
この本は〈古典部〉シリーズの第6弾になります。
この古典部シリーズは氷菓から始まる推理小説シリーズで今回の話は6巻目に出てきます。
「いまさら翼といわれても、困るんです」
これは、作中の登場人物、千反田えるの言葉です。
千反田は大地主の家に生まれ、将来は千反田家を継ぐことになっていました。
つまり、自分の生きていく道を自由に選ぶことができなかったのだといえます。
作中の千反田はそれに反発するわけでもなく、ごく自然に受け入れていたように思います。
自分の将来は、千反田家の跡取り。ずっとそう信じて疑わずに生きてきました。
では、もしその道を突然「絶たれた」らどうなるのでしょう。後を継がなくていいのです。好きな道を歩めばいい。自由に生きていい――。
一見素晴らしいことのように思えます。
ずっと付きまとっていた足かせのようなものがなくなり、これからは「自分」の人生を生きることができるからです。
しかし千反田は違いました。
だから、上記のような言葉が出てしまったのでしょう。
いまさら翼を与えられても、どう羽ばたけばいいのかわからなかったのでしょう。
千反田のような立場でなくとも、多かれ少なかれ、私たちは突然「翼」を与えられて困惑することがあります。
特に、進路選択を迫られた高校生などがいい例です。
彼らはこれまでの人生を好きなように生きてきたとは言えません。
「これからは自分で自分の生き方を決めなさい」
今まで散々縛り付けてきた大人たちは、きっと手のひらを返したようにそう言うでしょう。
「翼」を与えようとするでしょう。しかし彼らには羽ばたき方がわかりません。
だから彼らは時として「ずっと高校生のままでいたい」と嘆くのです。
ろくに好きなこともできない期間が実は最も安住の地であった、ということでしょう。
実際にその期間が長ければ長いほど、いざ「翼」を手にしたときの困惑が大きくなります。
現代の日本の社会はどうでしょうか。
18年、22年。長い人であれば、30年近くでしょうか。
私たちは、あまりに多くの時間を鳥かごの中で過ごしすぎているような気がします。
鳥かごの中で工夫して生きるでもなく、ただ決まった時間に餌を与えられるのを待つだけというような生き方です。
私はどちらかと言えば、人(高校生)に「翼」を与えるような立場にありました。
あんなに自由を切望していた彼らが、実は自由を前にして途方に暮れていたのではないでしょうか。
「いまさら翼といわれても、困るんです」
これは、特別な立場にあった千反田だけの話ではないのです。
多くの若者たち、場合によっては、定年退職を迎えたいい歳をした大人たちをも含む多くの人々の、心からの叫びだったのかもしれません。
こちらの本を詳しく知りたい方は下記からどうぞ
いまさら翼といわれても【電子書籍】[ 米澤 穂信 ]
コメント